理論と実験


 理論というものを見てみるために、まず天動説と地動説について考えてみましょう。
 正確にはどちらも正しい。静止点をどちらに取るかと言うだけの話ですから。なぜ天動説が主流になったかと言えば、その方が便利だから。科学的な理論というものはえてしてそういうものが多いです。それが日常的な感覚にマッチするかどうかではなく、いかにスマート(^-^;)に組み立てられるかですよね。それは抽象化の過程といってもいいのではないかと思っています。
 ただし、実際に真理と呼べるものが存在するのかどうかは誰にも分かっていません。もしかしたら結局そんなものは存在しないのかもしれません。あくまでも真理が存在すると信じて(仮定して)、深いところへ向かって理論は構築されています。そういった意味では理論が絶対的と呼べるかどうかは疑問です。(人々の認識自体は別として(^-^;))
 よい理論とは観測可能であることといいますよね。理論を否定するには反する例をあげればいいですけど、証明するには無数の結果の積み重ねが必要となってくる。それが観察・観測、つまり実験屋の仕事になっている部分はあります。つまり、実験者の頭の中には必ずと言っていいほど何らかの理論的バックグラウンドが存在します。それが正しいものかどうかは別としても。また逆に、理論屋の中にも実験結果というデータが入っている。それを元に理論は構築されていきますから。
 そういう意味で、卵と鶏の関係です。理論があるから実験結果が生まれ実験結果があるから理論が生まれる。
 ただしそれがすべてはないですよね。まったく新しい理論がこれまでに実験されたことのないものの実験を促したり、理論に合わないと思われていた実験結果から新しい理論が生まれたり。また、同じデータでも全く新しい理論によって生まれ変わったり。もちろん決して順調にはいかないですが。
 結局何が言いたかったかというと(^-^;)。例えばパラダイムシフトが起これば、理論自体が大きく変更され、実験結果の解釈も変わる。そういった変動を経つつ、科学は道を進んでいる気がします。
 真理が絶対であったとしても、理論も実験も絶対ではあり得ない。
 始まりは人間の好奇心だった。
 ゴールは分かりません。


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